偉大なる虚像、TQC(TQM)− その1
〜方針管理への批判〜
太田
実
論文紹介の趣旨:2004年7月31日
本文:1987年5月11日
目次
論文紹介の趣旨、本文の要約、TQCは聖域になっている、TQCの三つの柱、QCサークルが発生母体、方針管理はなぜ生まれたか、論理と実務の乖離、経営機能の埋没、数値管理の強要、科学性とは数量化か
論文紹介の趣旨
TQC(orTQM)活動は、ここ5,6年前まではわが国企業の成功の主因であるかのように言われてきました。しかし、わが国経済が深刻な構造改革に迫られてからは、さすがにその本質が知られてきてTQC熱は急速に冷めてはきましたが、中小企業にはまだまだデミング賞に憧れを持つところがあります。だが、これほど日本産業に普及しながら、その実態と世評との間に乖離のある活動はありません。
とはいえ、管理技術的に何が問題かを理解しえないジャーナリズムからは肯定的な論評のみが顔を見せておりました。しかし、これまでにも産業界におけるTQCの実践現場からの怨嗟にも似た苦情に着目して、一部のジャーナリストからTQC 批判の論文や著書が書かれることはありましたが、執筆者がネジメント技術の専門家でないことから、技術的見地の批判がされず、情緒的批判に終わっていました。したがって、折角の批判がまともなものとして受け取られないきらいがありました。
また、諸マネジメント団体も、同業他者への批判は自分への批判を招くという配慮から、TQCへの批判は決してしませんでした。紹介する当論文は1987年に書いたものですが、筆者が所属した団体から発表を差し控えてほしいとの要求があって機関紙への発表もできず、今日まで日の目を浴びることができなかったのもそのためです。
また、産業界へのTQCの推進者が大学の経営工学者達であり、彼らがその実践の指導者であったこともTQCを聖域にし、批判を封じ込めてきたということもあります。そのため、TQCの問題点は一向に改善されず、実戦知らずの技法の観念化がどんどん進んでいたことは知られておりません。
幸い、所属先から退職し(2004年4月)、遠慮もいらなくなったことからこの論文を紹介してみようと考えました。書き上げてからすでに17年を経ていることになります。しかし、技術的批判が今日に至るもされてきていないことから有効性は全く失われていないと考えます。
本文要約
TQC活動はわが国企業の成功の主因であるかのように言われてきたが、これほど現実の姿と世評との間に乖離のある活動はない。
TQC第一の柱である方針管理は経営体質の改善を目的にするにもかかわらず、実務と遊離した論理展開を強制するために経営を硬直化させており、反面、認めてはならぬ代案選択に自主性を尊重するために、経営機能を埋没させている。
第二の柱たるQCサークル活動は、自主性の名の下に経営者・管理者の甘えを助長させ、いたずらにとるに足らぬ改善活動を強いる結果になっている。
第三の柱たる日常管理も、いたずらに業務成果の測定と管理図作成に人件費投入をさせており、後ろ向きの仕事を増やしている。
TQCは聖域になっている
「TQC(orTQM)」(総合的or全社的品質管理or経営)、この名が世間に与えるイメージはまことに「偉大」なものがある。エネルギー資源がもっとも乏しく、石油ショックで最大の危機に見舞われるはずの日本経済を、ひとり繁栄に導いたわが国企業の成長の主因となった、という最大級の評価もあれば、失業と貿易赤字に悩む諸外国より、日本企業を支える経営の秘密として注目されている、とのイメージもある。それほどに多くの企業がTQCを導入していたということになろう。
あるいはまた、日科技連、日本規格協会、日本商工会議所が科学技術庁などを巻き込んで開催しているものに「品質月間」があるが、そのハイライトたる「デミング賞」受賞を方針とする企業にとって必須導入技術であるというイメージもある。
いずれにせよ、TQCが有するイメージは「偉大」であり、企業経営者ほど、その導入なり定着なりにきわめて熱心だという風潮がある。TQCの主唱者・指導者あるいはその追随者にとってはまことに慶賀すべきことであろう。しかし、TQC活動は、はたして内外から評価されたり、その主唱者・指導者が自画自賛するほど経営に対して貢献している活動であるだろうか。筆者のコンサルティング体験で導入企業の内情を見る限り、事態は全くその逆であり、経営を硬直化させ、働くもののやる気を阻害することが甚だしい。「TQCは仮想経営であり、実質経営は別に行われる」といった感がある。とりわけ、TQCを実践させられる実務者レベルでの批判は大変なものがあり、怨嗟に近い声すら極めて多い。
しかし、その批判の声はほとんど表立つことがない。その主たる理由の一つは、TQCの実施が経営のトップ方針とされることから来る「体制批判」を恐れることであり、二つは、TQCを構成する理念・理論や技術が,個々には、過去に一般化され認知されている思考なり技法なりであって批判の余地がなく、理論的に批判することが素人ではきわめて困難である、ということによる。
否、それよりも大きな理由はTQCの主唱者・指導者が大学の先生ということにあるようにも思う。わが国は儒教の世界でもあって、教える立場の者に対する畏敬の念を持つ。しかもそれが大学でということであるだけに、彼らへの批判をはばかったり、彼らの言を正しいと鵜呑みにもする。TQCは世間的には聖域になっており、体制化してもいる。そのことがTQCの実態が曝されないことにもなっている。
小論は、こうしたTQCの実体を技術的に解明し、その指導者・導入経営者に対して再考を促そうとするものである。
TQCの三つの柱
TQCと一口に言ってもその内容は導入企業によって一様ではない。また、その研究者・指導者は主催する日科技連という組織の管理下になく、自由人としての大学教員であることから、彼らの一人一人がTQCのパラダイムの中でそれぞれ自己主張しているために、
これがTQCだと断定できるものはない。しかし、その内容の骨組みは、原則として以下の三つの柱から組み立てられているといってよい。
TQCの三つの柱
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構成の柱 |
内容 |
活動の立場 |
|
|
@ |
方針管理 |
問題解決(改革・改善) |
職制の活動 |
|
A |
QCサークル |
問題解決(改善・改革) |
自主活動 |
|
B |
日常管理 |
維持活動 |
職制下の活動 |
方針管理とは、企業の経営(トップ)方針を社内の各部門の活動に体系的に展開させ、これによりその達成を徹底させようとするTQC活動である。それが意図するものは、通常の経営計画手法における環境対応・問題解決と同じであり、現状を変革する改善の実現と変わるところはない。
しかし方針管理では、その改善実現のさせ方に特色がある。すなわち、変化への対応を個々の部門がバラバラでやっていたのでは企業活動を誤らせると考え、トップ方針の体系的展開の網に各部課の全方針をそれぞれ位置付け、拘束する。(もっとも、TQCの指導者は、これを拘束ではなく上下の話し合いによる各部課の自主的選択だと主張する。)これにより、トップ方針の実現に向けて全社活動のベクトル合わせを実現させようとする。
二つ目の柱であるQCサークル活動は、職制によらない自主的活動であって、職場内でメンバー共通の改善課題を見つけ、その解決活動をしようとするものである。方針管理は職制を通した活動であり、QCサークルは自主的グループ活動という違いはあるが、問題解決(改革・改善)を意図するとの見地からは両者に違いはない。
残る柱の日常管理活動は、もともと、TQCの仕組みの中にはなかった部分であるが、体質改善活動のみで企業は維持できないことからTQCに取り込まれている柱である。日常管理とは、日常繰り返して行われる「日常業務」が所定の方法・手続き通りに行われたら(維持活動)入手できるはずの目標成果を達成させようとするものである。その限りでは一般の日常業務管理と変わるところはないけれども、統計的品質管理(SQC)およびその派生的分析技術を取り込む主戦場というところにその特色がある。
QCサークルが発生母体
さて、以上のようなTQCは、もともと統計的品質管理(SQC)(1945年後半に米国から導入)を土壌として発生したものであった。経験と勘、すなわち、作業者の腕で実現されていた製品品質を、数値による品質特性として管理する形に置き換えたものであったが、SQCも所詮、所定の品質水準の実現を目指すものに過ぎなかった。
品質のバラツキや異常を把握できても品質レベルの引き上げや問題解決を導出するものではなかった。したがって、製品品質問題の解決には、品質実現の当事者である現場作業者の品質意識の向上とか、品質問題に取り組めるようにする教育・体制が必要となり、ここから発生したのがQC活動であった。これがTQCの発端であって、QCサークルがTQCそのものであると誤解する人が多い理由もここにある。
しかし、製品品質は元来ユーザーが決めるものであるから、作業者だけでなく、設計・資材・生産管理・開発などの生産関連部門の活動もマーケット・インでベクトルを合わせる必要がある、との主張が出ると、現場中心のQCサークルが生産関連部門を含めた領域へと拡大されることになった。
それだけではない。「品質とは、製品に限らずコストも納期も、さらには企業の個々の業務(仕事)にもある」と拡大解釈し、企業のあらゆる業務も品質管理のコンセプトで取り込もうと意図するにいたる。そこで「買い手の要求にあった品質の製品またはサービスを経済的に作り出すための手段の体系」がTQCであるとし、生産関連部門のみならず、営業・経営企画・経理・総務などの企業の全活動をも対象とする手法がTQCとして整備されるにいたったのである。
SQCの導入とTQCへの発展にいたる以上の経緯はまことにもっともであり、問題視する必要は内容に思われる。しかし、意図することが立派でも、TQCを組み立てる理論と技法がその趣旨を実現するのにマッチしない、不都合であるとなると話は別になる。
方針管理はなぜ生まれたか
そこでまず、TQCの第一の柱である「方針管理」の理論と手法からその現実を明らかにしてみたい。
生産現場中心のQCサークルは文字通り製品品質を問題とし、その品質実現にとって有効な手段になりえたけれども、その対象をマーケット・インの思想と仕事の質とのコンセプトで管理・間接業務全般まで取り込むためには、現場以外の全部門も何とかして改善活動に目を向かせる必要がある。
しかし、間接業務は業務の種類と求められる成果が多種多様であり、業務執行の作業条件・環境条件も他律的である。経営者から中低位の管理者まで広がる職位のものが業務の在り方を決めているので、経営者・管理者の全員を取り込まないと実現しない。そこで、TQCの主唱者たちの着想したものが「方針管理」の論理と手法であった。
方針とは文字通り経営方針のことであり、経営が目指す体質改善・目標実現の方向である。したがって、企業の全部門を体質改善と称するTQC活動に巻き込むためには、トップ方針の網の目に全社各部・各課を位置付けることがもっとも手近な道となる。
かくて、トップ方針の一つ一つの実現につながる方針を、たとえば、各本部長に策定させ、次いで各本部長下の各部長に、直属本部長の各方針実現とつながる方針・方策を企画させる。同様な手順で全管理者がトップ方針実現のための方針・方策を策定することになる。方針管理では、このことを方針の展開と呼んでいる。方針展開は、文字通り最高経営者の意思としての方針実現のために全部門を巻き込もうとするものであり、論理的にはケチの付けようがない。
方針展開の形
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トップ方針 |
管理本部長方針 |
資材部長方針 |
購買課長方針 |
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1.変動費の大幅削減を図る |
1-1原料費の削減をする |
1-1-1購買方式を見直す |
1-1-1-1減量品目のVEをする |
|
1-1-1-2契約更改時にも見積もり合わせをする |
|||
|
1-1-2原料購買先を見直す |
1-1-2-1・・・・・・・ ・・・・ |
||
|
1-1-2-2・・・・・・・ ・・・・・ |
論理と実務との乖離
しかし、この論理的展開はあまりにも経営実務と乖離しすぎる。トップ方針はあくまでも経営全体の立場から最優先課題として絞られたものになる。したがって、トップの下にある各本部・各部課の立場からすれば、その重点方針実現に全く関係がないとか、関係があるとしても軽微であり無意味であるとわかっていても、それよりも重要な他の問題があるにもかかわらず、トップ方針に無理やり関係付けた方針を作ることになる。
この関係を図解して示すと下掲の表のようになる。(各部課仮定方針案のリストを参照)
この表は,方針展開とは関係なく、トップより下位の部署から見て企業のために必要と考える方針をその成果レベル(重要度)を問わず全て仮定したものの分類表とする。したがって、同表はその方針仮案をトップ方針との関係度と企業にとっての成果レベルによって分類していることになる。
したがって、方針管理下では、トップ方針との関連が深い方針を採択するので、1,4の枠に入る方針が方針展開の中に取り込まれ、企業にとって有効性が高いはずの2,3枠の方針がトップ方針との関連度が低いというだけで排除されることになる。とすれば、1,4の枠内の方針組み合わせの成果合計と1,2,3枠内のそれとでは明らかに後者の方が成果合計が多いはずである。したがって、各部署から方針管理の束縛を解き、成果レベル本位で方針を立てさせることが企業にとって得策であることがわかる。
各部課仮定方針案のリスト
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成果レベル |
トップ方針との関連度 |
||
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高い |
低い |
なし |
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|
高い |
1 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ |
2 ・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ |
3 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ |
|
低い |
4 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ |
5 ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ |
6 ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ |
注@:アラビヤ数字は記入枠の番地とする
A:・・・・・は仮方針案の列記を示すものとする
以上から理解できるように、方針展開は一見すると論理的であるけれども、論理的なるがゆえに実は企業利益を損なうことになるといわなければならない。というと、方針管理論者は「そうではない。2,3枠の取り込みを否定しない」というかもしれない。しかし、それなら方針展開ではないといわねばならないし、これまでの経営計画と変わるところがない。とすれば、「方針展開がTQCの一大特色だ」などという資格はないことになる。
以上のように、トップ方針の論理展開を強制するばかりに経営上解決すべき重要問題が方針として採択できないということは本末転倒であり、経営実務に熟達した管理者からすれば経営上選択すべき課題の認識が十分あるだけに、方針管理の理不尽を痛感することになる。企業を愛し、その発展を希う前向きな管理者ほど欲求不満に陥り、やる気を失ってしまうのである。しかも、もっと危険なことは、論理展開を強制されることが続くと、管理者の自由な創意と発想の力を殺してしまうことである。
しかし、方針管理の外において管理者が抱える現実の課題は放っておくわけにはいかないので、まじめな管理者はその解決にも取り組んでいるのが実態である。トップの経営者はトップの方針に関心を注ぐので、こうした現実については「知らぬは経営者のみ」が一般的なのである。
換言すれば、TQCを採用している企業では、TQCという見かけの経営と本来的な経営とが二重に存在するのであって、管理者の怨嗟と管理コスト重複という問題を抱え込んでいるのである。要は、全管理者が素直に問題を認識し、ずばり企業にとって必要な課題に取り組めることが肝要なのであって、方針管理のような、実務を踏まえない観念の遊戯は企業の力を殺してしまうのである。
経営機能の埋没
TQCの方針管理は、以上のようにトップ方針の体系的展開と展開された方針領域に全管理者を巻き込むところに特色があり、そこに重大な問題があるのだが、その反面、方針・対策の「自主的選択」という特色とそれに伴う問題もある。
既述のように方針管理は、上位者が下位者に対して方策の企画・実施の「領域」指示することになる方針の形で拘束する。ところが、その反面、下位者が立案・実施する方針・対策については自主的選択の形をとる。上位者が示す方針の趣旨について上下が話し合い、その結果、その方針領域内である限り、下位者が企画する方針・方策の如何は下位者の自由とするのである。
これは、方針管理が上からの押し付けではないこと、業務命令でやるものでないことを強調するための配慮であるが、人間性尊重を華々しく標榜するTQCの基本理念からの工夫ではある。
しかし、この配慮がまた問題を呼ぶ。上が示す方針とは、その表現がどの程度に抽象的・具体的であるかの如何にかかわらず、その言葉の裏では何を経営的に解決したいのか、何を実現したいのかは明確になっているべきものである。さもなければ、下位者への経営意思の伝達は方針などという言葉だけでは不可能であり、たとえ上下が話し合う形を取っても下に伝わるはずがない。やるべきことは動かせないものであり、上位方針の下での下位者による方針・方策は自由選択の余地があってはならないものである。
例えば、「営業力を強化する」というトップ方針と直結する会社の方針・方策としては、「市場情報の収集制度を作る」「顧客訪問頻度をあげる」「営業マンに商品情報を徹底させる」「営業マンを増員する」などのいずれも選択できることになる。しかし、「営業力の強化」の意図する問題意識が潜在顧客の明確な把握ができていないことであれば、選択すべき下位者の方針・方策は「顧客情報の収集システムを作る」ことでなければならぬはずである。関係があるというだけでどの方針・方策が選ばれてもよいということにはならないのである。
しかし、このように選択の余地が大きいのは、上位方針としての「営業力を強化する」が抽象的で具体性に欠けるからだということで、「潜在顧客の明確な把握をする」ということにすると、今度はこの方針が具体的であるだけに、このトップ方針と関係する部課数が少なくなり、全管理者参加の色彩が薄れてしまう。したがって、上位方針の数をやたらに増やさなければならくなって、ますます方針の体系的展開に混乱が起きてしまう。
もともと経営方針の下位への展開は一方的にトップダウンで行うべきではなく、下位方針・方策の積み上げでできるものでもない。(一般的に積み上げてそれを整理し、形だけ方針展開にしている例が多いが、これは、経営判断が自分の能力でできない経営者が如何に多いかを示している。)ゼネラル・スタッフなり各機能部門のスタッフなどが、全社的あるいは機能部門毎に意識した重点問題とその解決のための取り組み対策の見通しを基礎にして、どのような経営方針・部門方針が企業全体の組織活動上最適であるかを考えながら、トップと各部門を誘導・調整して組み立てるのが不可欠なのである。
したがって、TQCの方針管理においても経営上は各方針の誘導・調整が必要なはずなのである。しかし、TQCによる「全員の自主性を尊重する」という理念からゼネラル・スタッフや各部門スタッフの誘導・調整は認められず、逆に、形だけのトップダウンの方針展開に巻き込まれてしまう。
その反面、TQC導入企業では、トップがTQCに積極的に取り組んでいる証として、例外なく、デミング賞授与のためにトップ直属のTQC推進組織設置を設置する。デミング賞受賞を目指すためには日科技連所属のTQC指導講師(大学教員)の指導を受けなければならないだけでなく、同賞授与の審査機関がこのトップ直属の推進機関の設置を必要条件にしているからである。
しかし、この機関はスタッフが負担する諸部門の誘導・調整機能、全く負担をしていない。その機関員はTQCの理論・技法を知っているだけの管理技術者であり、その社内教育とTQC活動の形態的整備の監督・指導のみを負担する。経営実体・事業実体の理解力をもつはずもなく、経営知らずが方針展開を支配する。
したがって、TQCを熱心にやる企業では、いわば、方針管理の手法が優先して経営機能が埋没してしまうのである。それでも、経営は動いているというであろうが、それは経営の現実を直視しない形式だけに陥ったTQCによる「管理活動」が動いているのであり、経営が作動しているのではないといえる。したがって、経営について心配する前向きな管理者いる場合には、TQCとは別に裏でスタッフを活用して誘導・調整をする現実がある。したがって、こうした企業では実際の経営とTQCの形式的経営が重複して存在するという混乱と、とんでもない無駄な経営コスト発生させているのである。
TQCにはその活動についての監査機能として「社長診断」が設けられるが、以上の現実をバカバカしく感ずる管理者の多くは方針管理活動を社長診断の無事通過のみを願う活動と感じており、「社長診断をパスすれば万歳」「診断パス後の明日からが仕事」という滑稽な現象が起きているのである。
面白いことに、経営感覚の弱いトップほどTQCを高く評価し、TQCこそ経営という思いが強い。社員が熱心に動き、自分はその監督だけに注力することが経営だと思い込んでいるだけに、TQCをやっておれば部下が絶えず熱心に活動すると思い込んでいる。生意気な言い方をすれば、TQCに熱心な経営者ほど何が経営かを知らない人が多い。先進企業の路線を踏んでいても経営が成り立つ時代ならそれでもすむが、グローバルな競争に対処して、真の経営(環境に適合して競争力をつける)が求められれば、おのずから存在価値が失われるはずなである。
数値管理の強要
こうした方針管理は、もちろん方針策定にとどまるものではない。立案された方針に基づくその実現活動の「推進プログラム」もあり、そのための理論と、曲りなりの技法も用意されている。先掲の方針展開を例に取れば、「変動費の大幅削減を図る」というトップ方針は、資材部長レベルになると「購買方式を見直す」とか「原料購入先を洗い直す」などの方針になるが、これらの方針は当該部署で実施されなければ無意味だとして、それぞれの方針の実施計画策定と実施のフォローを仕掛けている。
そのための理論は各方針の実施について「管理する」であり、その「独特の表現」が「P・D・C・Aを回す」である。Pとは「方針に基づいてその目的を明確にし、どのようにして実現するかの方法を決めること、対策実施の期待成果を目標設定すること」、Dとは「計画通り実施すること」、Cとは「目標通り実施されているかチェックすること」、Aとは「成果が目標通りになっていないとき、原因分析をして改善処置をとること」であるが、この理論は「マネジメント・サイクル」として経営学あるいは企業実務の常識であり、別段新しいわけではない。
では、TQCの管理理論および技術上の真の特色は何か、だが、それは「データーに基づく科学性」重視の思想だといってよい。すなわち、方針実現のP・D・C・Aを回すにあたっては、経験と勘に依存するのではなく「事実を客観的な数値情報として把握し、その数値情報を尺度にして科学的に管理する」という。
こうした「科学性」重視の思考は、方針実施の期待成果を数値で表現できる管理項目(測定尺度)のレベルとして表現させることに現れる。例えば、「業務標準化の促進」という方針が設定されると、その期待成果を計る管理項目として業務標準書作成件数を選択させ、成果目標を月当たり10件というように、「配送ミスの削減」であれば、管理項目に配送ミスの件数を選択させ、成果目標を月当たり3件というように目標設定を要求する。
その上で、管理項目の実績値を管理図などのグラフに表現して方針実現のP・D・C・Aを回せ、という。そして年度が終わると、目標未達の程度をデーターによって「科学的に」認識し、未達の因果関係を正しく解析して反省した上で同じ過ちを繰り返さないような次年度方針を策定することを要求する。
科学性とは数量化か
しかし、数値で管理できるという「科学性重視」の発想をライン活動以外のスタッフ業務に強制することは、実務の実態を全く無視したものである。確かに、製品の品質実現や製造作業、あるいは一部の単純繰り返し業務については発生サイクルも短く成果がすぐに出る。数値で成果を表現・測定しうるから、管理図や管理グラフを作成して業務をコントロールする統計的品質管理の概念と手法の援用は有効である。
だが、P・D・C・Aを回す対象業務が管理・間接業務となると、その期待する 「真の成果」を数値で表現するなど不可能なものが圧倒的に多くなる。もちろん数値表現できるものが皆無だというつもりはないが少ないのであり、その少数を前提にした「科学性追求」を強制してもらっては困るのである。こんなことは、スタッフ業務の方針の実態を見ればすぐわかることである。例えば以下を見られたい。
・ 新方針管理を定着させる。
・横断的マネジメント機能を整備する。
・新予算制度を制定する。
・余剰資金運用の基礎作りをする。
・給与制度の改善大綱を作る。
このような方針は、その意図する成果をどのように数値化するのか。成果実現の期日なら表現できるが、それは成果ではない。したがって管理者は、方針実現にからんで数値化できる業務形態を無理やり選んで見かけの成果にし、その活動実績記入のために無用な管理グラフの山を築くというのが方針管理の現実なのである。真に重要な方針とわかっていても、数値尺度が見つからないという理由で方針策定から排除せざるを得ないというのでは、一体何のためのTQCかといわざるを得ない。
TQCの指導員(大学教員)のほとんどは、こうしたTQCの実践における悩みに対して、「自分で考えることが大事だ。教えてしまっては教育にならない」と突き放す、との苦情が極めて多い。しかし、悩んだ結果に対しては、「自分ならどうする」と答えてこそ教育になるのであって、これでは自分の教育の誤りはもちろん、TQCの問題点も何時までたっても認識されない。TQCの研究がますます観念的に深化するのもそのためと考える。
以 上