偉大なる虚像、TQC(TQM)− その2
− QCサークル、日常管理への批判 −
太田 実
論文紹介の趣旨:2004年7月31日
本文:1987年5月11日
目次
QCサークルも広げすぎ、QCサークルは自発性でよいのか、「日常管理」は非生産的、デミング賞とTQC
QCサークルも広げすぎ
「方針管理」の諸問題について縷々述べてきたが、TQCの第二の柱であるQCサークル活動についてはどうであろうか。
既述のように、QCサークル活動も方針管理と同様にその意図するところは現状の変革・改善であるが、方針管理と異なるところは職場の身近な問題解決に取り組むところにある。このサークル活動は職制で強制されるものではなく、「QCする」(改善する)ことにより自分らの職場を自分たちで成長させる、という精神構造が強調されている。したがって、自己啓発と動機付けがその理念とされる。
「この活動が職場の改善として結実することにより、自らの人間的成長を確認して喜ぶものであり、そこに人間性尊重の実現がある。」だからこそ、「QCサークルの精神とか問題解決の手法(QCの新旧各七つ道具)の習得が不可欠である」として、QC教育に膨大な労力を注入することが当然とされている。
率直なところ、製造現場のQC活動は大成功であったと評価してよい。品質の改善とか問題解決は、QC活動が出るまでは、先進諸国同様に日本でも管理者ないしはその援助者たるスタッフの仕事であり、担当者はただ上司の指示の下で作業するだけの立場であった。しかし、QCサークルにより、担当者の一人一人が自らの創意工夫を経営に反映させることになり、その意味で従来の慣行を変え、全員が経営に参加するという喜びを与えることになった。日本人の特性にすばらしくよく適合し、この点については誰もが評価で切る大革新であった。
しかしQCサークル活動も、それが製品品質改善とか生産現場の問題解決にとどまっている限り問題はなかったが、その活動の範囲を全社の管理・間接業務にまで広げて「全社的」品質管理の基本柱とするようになると、見逃せぬ問題が派生する。
QCサークルは自発性でよいのか
まずその第一はQCサークル活動の作業時間帯に関係する。
QCサークル活動は業務命令で行われるものではなく、職場内で自発的に組まれた担当者レベルの小グループが自主的に選んだ改善テーマに取り組む、というのが建前である。したがって、経営の立場からすれば、同サークル活動はサークルが勝手にやっていることであり、その活動時間に対して賃金・給与を支払う性格の活動でない、という論理が組み立てられる。そこで一般に同活動は時間外で行われるべきものとされ、原則として残業手当が支払われない。しかし、実際は経営が誘導した活動であるので、奨励金とか創出メリットに対する賞金などの名目で残業手当相当分の何割かの手当てを支給するのが普通である。
しかし、経営サイドがQCサークル活動に対しそれ相応の残業手当を支給しないのはサービス残業を強要していることと同じ、であって問題がある。そもそもQCサークルは従業員が遊びでやっているのではなく、経営側が経営へのメリット創出を仕掛けていることは否定しようもない。したがって、TQC制度は、同活動を正規の労働として扱うよう理論修正すべきなのである。
しかも、もっと重要なことは、同活動の普及につれて管理者が本来の責任業務を忘れるというマネジメント風土が随所に広がったということである。管理者の本来業務は改革・改善と部下の執行業務の監督であるが、サークルの改善活動が盛んになったために管掌下の業務改善はサークル(または部下)がするものと錯覚し、管理者の仕事は単なる部下の業務監督であると誤解する気風を生んでいる。そのため管理者能力(改変能力)が低下し、企業の環境適応能力が低下したように見受けられるのである。
サークル活動の第二の問題は、サークルが取り組むテーマ(解決しようとする問題)に関係する。管理・間接業務は全社あるいは複数部門に関連するものが極めて多い。しかも、経営者や、高位管理者が持っている管理思想や価値観に依存するものが極めて多く、その切り替えがないと実現しないものがほとんどといっても過言ではない。したがって、サークルが取り上げうるテーマは、必然的に自部課内で自主的に解決できるテーマになってしまう。したがって、取るに足らない期待成果しか得られないようなテーマに取り組むことになっている。それだけにテーマの種も尽きやすく、テーマ探しに困窮することになっている。
にもかかわらず、サークル活動の成果発表日が近づくと時間外の研究では間に合わなくなり、正規の勤務時間内で消化せざるを得なくなる。管理者は、サークルの自主的活動が建前に過ぎないことをよく知っているので、自部課内のサークル成果が思わしくないと、それを自分の管理責任と考え、正規の時間内での消化を認めることになる。
企業によっては、正規の勤務時間内での同活動を容認するところもあるが、このような場合は正規の賃金・給与を支払うことになるから、サークルのテーマといえども経済性の原則を踏まえることが必要となる。同活動への投入時間(投入コスト)に対して期待成果が引き合っていなければならなくなるのである。
にもかかわらず、TQCの指導員あるいはテキストでは、QCサークル活動を勤務時間内でやるか時間外でやるかは問題でない、と強調する。改善能力開発の重要性を認識すれば自明の問題だと一様に一蹴するけれども、能力開発も経営の採算を外してやってよいはずはない。しかも先管理・間接業務にあっては、取り上げるテーマが先述のように瑣末なものが多くならざるを得ないとすれば、能力開発にはかえって悪影響が及ぶとすらいえる。
TQCに限らず、一般に自主活動こそ人間尊重だという思い込みがある。しかし、合理主義の下で育った今日の若者たちは、経営の本音を鋭敏に察知しているのであって、職制が陰に陽に誘導する見せかけの自主活動など実際には白けていることを直視する必要がある。経営者・管理者がやるべきことは、担当者に取り組ませる改善テーマが経営にとって必要であることを堂々と説明し、納得させ、勤務時間内でやらせることである。
「日常管理」は非生産的
TQCの第三の柱は日常管理であり、日常業務をその対象とする。
日常業務は日常的に繰り返して行われるものであって、所定の方法・手順を守れば所定の成果が得られる「作業」業務、維持業務であり、したがって、改善・改革といった活動ではない。にもかかわらず、TQCが一つの柱として日常業務を取り込むのは、総合的(全社的)品質管理(経営)と自称するために不可欠であるということもあろうし、日常業務が今日の糧と明日の糧の原資を稼ぐ基本中の基本業務ということもあるだろう。
しかし、最も大きな理由は、品質管理技術適用のそもそもの対象が「作業」であり、「作業」抜きに品質管理、品質経営の活動名を付けられないからである。すなわち、「作業の一つ一つには測定できる数値成果があり、その成果実現を確実にするためには実施結果を測定してその数値目標と比較し、その未達状況の原因分析をして対策を講ずる」という品質管理の典型的な主要対象なのである。
TQCでは数値による成果測定尺度を管理項目といい、対策を講ずるための対目標乖離の限界を処置限界といっている。したがって、各日常業務について管理項目・目標値・処置限界を定めさせ、実績値を管理グラフにプロットして管理させる。しかし、日常管理においても、これが生産などの現業から、品質経営の名の下に管理・間接業務まで取り込むために問題が多発する。
その第一は、管理・間接業務には数値による的確な管理項目がないことに起因する。たとえば、最も典型的な作業である受付業務を取り上げればすぐわかる。受付の真の成果は来客の来社時・退出時の当社への心証であり、訪問目的先への効率的な誘導である。しかし、このような成果は数値で表すわけにはいかない。量的に表現しやすいからといって来客数・接客数を成果目標にするならば本来目的の実現は消えてしまう。その意味から「郵便物の受付処理」業務の受付件数、起票業務における起票枚数、などいずれも管理項目になりえない。
その二は、管理・間接業務の日常業務が多種多様であるために管理項目の実績測定に手間を食い、本来の業務よりは「測定のために業務をする」ことになる、ということである。起票業務や入力作業の成果が起票ミスの無さにあるとしても(多くの複合要因の成果であるはずだが)その実績を手間かけてカウントしなければならない。直接部門の現場のように、少種ながら負担業務が多量であれば実績測定は相対的に低コストとなって許されようが、一人が極めて多数の単位業務を担当している管理・間接業務では、測定作業事務の構成比がやたらに増えるだけになる。
その三は、管理・間接部門の担当者は、自分の責任では仕事量を左右できない数多くの単位業務を分担するため、分担する全業務を総合した処理量でないと真の成果に近似しない。このような成果目標の設定とか実績値の測定をするためには膨大な事務作業時間を必要とする。
要するに、管理・間接業務におけるTQCの日常管理は、データーに基づく科学性追求の名の下に、無意味な数値目標・実績測定と管理グラフ作成という非生産的活動に膨大な人件費を投入させているのである。
デミング賞とTQC
以上、TQC活動の実態を縷々述べてきたが、TQCのこうした悪さはデミング賞の獲得を意図している企業内に見られるものであって、すでにで同賞を獲得してしまった企業には見られないはずである。というのも、同賞を獲得してしまった企業は、既述のようなTQCの問題点を痛感してしまうために受賞後はその実施をやめてしまうか、実務に適した簡素なものに変形してしまうからである。
日科技連を実質事務局として1951(昭和26年)年に創設されたデミング賞は、優秀な品質を実現する企業の証として世間に認知されるほど大変な権威を持つようになったが、同賞がそうした権威を獲得するのに貢献したのが先行してTQC導入をした一部の著名な大企業であった。当時はわが国の高度成期以前のことであり、戦勝国アメリカの統計的品質管理を思考した企業の続発の中で、そのシンボルとしてデミング賞受賞を目指していた。当初はまだ総合的品質経営などというコンセプトの拡大も無く、純品質管理技術の色彩が強かっただけに、品質経営としてのデミング賞を受賞したわけではなかったのである。当然、今日のようなTQCの悪さの洗礼も受けないですんだのである。
反面、まだデミング賞の権威が確立していなかった頃であるだけに、デミング賞の主導者にすれば著名な大企業に受賞させることによって同賞の世間的権威を確立する必要があったから、大企業中心の同賞授与を積極的に進めたのである。
その結果、同賞の権威が確立するにつれ統計的品質管理の主導者たちはそのコンセプトを拡大し、経営全般までも品質管理技術で取り込んだ品質経営コンセプトに変質させていく。その結果、品質管理優秀者の表象としてのデミング賞を品質経営の優良実施賞に変質させていく。すなわち、TQCを忠実に実施する企業に与えることにしたのである。
しかし、デミング賞を受賞したい企業は、デミング賞の審査・授与機関としてのデミング賞委員会へその申請をする必要があり、そのためにはTQCの優良実施者であることを立証してくれる推薦者が必要となる。そこで、TQCの専門家としての指導員(日本科学技術連盟登録の指導講師:経営工学の大学教員)を導入し、その指導を受けなければならなくなる。ここから、教条的なTQC活動が始まり、記述の悪さが発生することになるのである。
指導を受けるTQCの専門家の推薦が不可欠という立場の強さから、同指導員の目に余る専横が随所に見られたことは公知の事実であるが、ここではそれに触れることはしない。しかし、デミング賞を受賞すれば用済みでTQCをやめる、あるいは実務的なものに変質させるという現実は、TQCの本質を示して余りあるものがある。
バブルが弾け、企業構造の変革が必要になるとともに、ますますTQCの有効性が疑われるようになり、大企業からのTQCへの関心が薄れている。したがって、今やTQC指導員の活躍の場は中小企業に移っているが、中小企業にはそんな無駄な業務を抱えるほどの余裕は無いはずだと知ってほしいものである。
以 上